市民球場再生計画

4月12日
やられ損の証明か、水俣訴訟−。関西水俣訴訟で勝訴、しかし熊本県に水俣病として認定されなかった86歳の女性が県に取り消し処分を求めた訴訟の控訴審判決が出た。

大阪地裁は「県の処分は適法」。原告逆転敗訴となり、原告側の上告が決まった。

この訴訟の是非や詳しい内容については直接、しかも深くかかわりあいをもっていかない限り「真実」がどこにあるかを「決する」のは困難かもそれない。だが、実際に一国民と国や県が対立する構図はまさに3・11以降の「原発暴走」問題にオーバーラップしてくる。

この国では戦争で国土を焼野原にされたあとも同じようなことが何度でも起こる。

4月12日未明のツイッター(当然!当チャンネルもフォローしている)で大阪の橋下市長が原発再稼働を推進している民主党政権に対して「戦争時代に逆戻り」という表現を用いたがまさにそう…。

声なき声を発する一市民らは何度でも我慢と辛い一生を強いられる。広島と長崎ではほんの67年前に一発の原子爆弾がさく裂し、この世の地獄を見たばかりだというのに…。

長期に渡り、莫大なエネルギーを投入して訴訟を起こしても、そのエネルギーに見合った「成果」を得ることはまず不可能…。広島と長崎で降った黒い雨の正体やその影響の及ぼす範囲の限定ですら未だに喧々諤々、訴訟問題もそれぞれの見解も二転三転し、国の方から「すいませんでした」と温かな支援の手をさしのべるような空気はまるで見えない。

「公害」という言葉が生まれたのは高度経済成長時代の1950〜60年代の日本だが、「公」とはどういう意味なのか?

「公」の中にはその時代に工業製品を嬉々として購入していた我々も含まれるのか?そして「低成長時代」の平成の世に長いスパンで災いをもたらせる今回の「原発暴走」は何害なのか?

そもそもその「害」を発生させた主語は誰か?電力を浪費してきた国民にもそれ相応の負担を強いるのが「害」の条理というならば、我々はこの地上に生存しているだけでこの災いを運ぶ存在になり下がるのだろうか?

※大阪市と広島市の比較により広島市のあるべき姿を探ります。
ご意見はコチラ
再生計画トップ
ホーム
sports.c.w